思考のキャンバス -文化とアートと社会と自分についての記録-

文化・アートと社会のつながりについての思考録です。また、影響を受けた本・音楽などを取り上げて、自分自身に関する思考録も行います。

「文化とアートと社会」に関する思考録_180608

【文化やアートで、人がつながる社会をつくれる】

Facebookで「ブログを開設します」と公言してから、ちょうど1週間。
この1週間、自分が思っていることを、もっともシンプルに表す言葉を考え続け、この言葉に至りました。

ただ、このことは、今に思い始めたことではなく、高校の頃のとある体験がきっかけとなって、これまでずっと信じてきていることです。

(※とある体験というのはまたどこかのブログで書きたいと思いますが、タイトルは「1000人を招いた地区銀バンド」とでもしときましょう。当時の同級生や後輩に怒られるタイトルかもしれませんが笑)

また、縁あって、大学での活動や、今の仕事で、文化芸術に深く関わることができているために、思いがさらに強くなっているということもあると思います。




今も昔も、「人のつながり」ということの大切さは不変です。ですが、これから先の未来は、少し違う意味で、「人のつながり」というものが大切になってくるような気がしているのです。

SNSの出現、SHOWROOMなどのライブストリーミングサービスの登場など、近年の技術革新によって、人とつながるための方法の多様化、つながる範囲の拡大化が急速に発展しています。これからは今以上に、「人のつながり」の密度と時間が確実に濃く、長くなってくると考えられます。
これによって、これらのツールを使いこなして、つながりを濃く、広く持てるようになる人と、ツールを使いこなせずつながりをあまり広げられなくなる人が出てくることで「つながりという資本(関係資本)」の格差が広がってくることが危惧されると思います。




関係資本をつくる力が、お金を稼ぐ力と同じ、あるいはそれ以上に必要となる社会がやってくる。
人とのつながりをつくるには、自分を発信する力、自分の個性を武器にできる力が必要になってくる。
その力を身につけるためにはどうするか。




そこで、文化やアートの出番です。
文化やアートを通して、人と1つのことを共に楽しむ体験をすること、少し恥ずかしくても、お互いに自分を表現し、それをお互いに承認される体験をすることで、つながりという資本を得る経験を重ねることができます。

なぜなら、文化やアートは、それ自体正解がないものであり、あらゆる表現が、差別なく「個性」として捉えるものだからです。そして、文化やアートは、受け手と発し手がいなければ成立しないものであり、それ自体がつながりを構築しているものだからです。

互いの個性や価値観に触れられ、関係資本づくりのきっかけとすることができる文化やアートこそ、これから先の社会において必須のものとなる。
「文化やアートは単なる趣味・娯楽」という意識から「文化やアートは生きていくために必要なもの」という意識へ変化していくことが必要だと思います。


そのためには、私は何ができるでしょうか。
それをこれから、少しずつ考えていけたらいいなと思っています。




ーーこんなように、自分の思考をつらつらと、キャンバスのように思いのままに描いていきながら、少しずつ形にしていけたらいいなと思っています。

このブログは、そんなブログです。


ただ、こんなことを数日に1回書いていても、たった数日で思考に進歩があるわけでもないので、私自身が影響を受けた本や音楽についても書いていきたいと思います。すでに本記事の中にも、影響を受けているところがあるので、いくつかブログが更新された後にこれを見ると「この話はあの本から影響受けたな」なんてことがわかるかもしれません(笑)

なかなか重くなってしまったファーストタッチかもしれませんが、最初だからこそ、できるだけ核となるようなことを書かせてもらいました。


本日はここまで!

最後まで読んでいただいたことに、些少ながらの感謝をあなたに。