思考のキャンバス -文化とアートと社会と自分についての記録-

文化・アートと社会のつながりについての思考録です。また、影響を受けた本・音楽などを取り上げて、自分自身に関する思考録も行います。

なりたい自分をえがく。言葉にすれば、なにかが動く。[200216_雑記録]

2020年、早くも1ヶ月半が過ぎました。
時がたつのは早いものです。

 

前回のブログからまる1ヶ月かかりましたが、

お構い無しに書いていこうかなと、いうところです。

 

そう、今年の目標の話をします。

 

今年の目標、もちろん、今ごろ考えたのではありません。

わたしのtwitterでは元旦から掲げておりました。

 

 

 

 

今のところ、ぼちぼち順調かな、という感じです。

 

さて、前回のブログに書いちゃったので、
今回の目標をなぜこのように立てたのかをまとめたいと思います。

 

なりたい自分をえがく

去年いまいち達成感がなかった理由を、なんとなく考えてみました。

 

去年はとにかく、「数字」を指標にしてました。

写真を○○枚撮る、1ヶ月に○○を○○回やる、とか。

  

当時の記憶を呼び覚ましてみると、とにかく、
「習慣づけ」をしたかったんだということを思い出しました。

 

結果として、習慣づいたもの、つかなかったものはありますが、

 

年末に振り返りをしていたとき、ふと思ったんです。

 

「習慣づけて、自分はどうなりたかったんだ?」と。

 

なにも、思い浮かぶものはありませんでした。

 

 

だから今回は、年末に「どうなっていたいか」を切り口に、目標設定することにしました。

 

「  余  白  」をだいじに。

 

それから、もう一点だけ、意識したことがあります。

 

今回は、数値目標を少し緩めに設定しました。

 

理由は一つ。

遊びを持たせたかった。

 

プログラミングだったりなんなりと、気になったものごとには

次々と飛んでいきがちな人間です。

 

今年もきっと、突拍子もないことを始めるに違いない。

 

 

実際、すでに始めたこともあります。

この予測は大正解です。

 

ゆるく設定したとしても、
「年末に、どうなっていたいか」が、自分の中にあれば、
歩く道のりが変わっても、ゴールに近づくんじゃないか。

 

そう仮説を立てました。

 

言葉にすれば、なにかがうごく。

ついでに、1月の振り返りをなんとなく。

 

ありがたいことに、1月からびっくりするくらい

いろんなプロジェクトに飛び込ませていただく機会がありました。

 

写真活動もたくさんできました。すでにポートレート会が3回。

 

1月の週末は、第2週以外、東京にいなかったです。

北海道・名古屋・京都。

 

ちなみに、2月の第1週は、長野にいました。

 

最近、言葉にしていると、
何となくその方向に向かっていくなってことを
実感しています。

 

あとは、その先で自分の存在感を発揮できるかどうか。

目の前のことに、どれだけ全力を注げるか。

 

そのことが大事なんだなと実感してます。

 

1月がハードすぎたので、2月・3月は少し大人しくなるかな。

 

各地に飛び回ることは少ないかもしれないけど、

近くで動き回っているんだろうな。

 

 

まあ、いずれにしても、今はすごく楽しいです。

 

2019から、2020へ。[191230_雑記録]

2019年 最初で最後の投稿です。

 

更新が、2018年の振り返りで止まっていました。

 

noteの更新が楽しくて、こちらがなおざりになってました。

 

 

そんなことで(?)、2019年も終わりが近づいてきたので、

今年一年は、こちらのブログで振り返ろうと思います。

 

まずは1月に立てた、今年の目標を振り返ってみることにします。

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結論から書きます。

ええ、あんまりできていません。

 

ブログを1週間に1回の頻度で更新 ⇒ ✖

コミュニティを広く深く ⇒ 〇

 

2ヶ月に1回以上芸術鑑賞 ⇒ 〇

 

12冊以上読了 ⇒ 〇(12冊) 

読書記録作成 ⇒ △ (メモはつけたが、記録までは作れず)

ブログ発信 ⇒ ✖ 

 

撮影5000枚以上  ⇒ 〇 (6479枚)

写真コミュニティ1回以上参加 ⇒ ◎ (集団撮影3回 個人撮影3回)

 

曲を12曲以上制作 ⇒ ✖ (2曲完成 2曲未完成)

 

運動 脱ペーパー ⇒ 共に✖

 

 

うーん、もっと頑張れたのでは?

と、思うところもありますが…。

 

運動と脱ペーパーは、2018年と2年連続で掲げてました。

多分来年は書きません。

 

逆に、書いていないことで始めたこともあります。

 

・プログラミング(HTML/CSS,Ruby,JavaScript

・自己分析1000問ノック(179/1000問)(※詳細はnoteにて)

note.com

 

ということで、

達成できなかったからダメ、ではなくて、

なぜ達成できなかったのか、を考えるほうがきっと次に活きるので、

そんなことを考えてみたいと思います。

 

その前に、今年できたこと、やってきたことを

もう少しだけ深く掘り下げて、振り返りを。

 

 

 

・・・と思い、書き始めてみたら、思いのほか長くなってしまったので、

 

このブログ、振り返りだけで終えたいと思います。

  

 

原因分析と改善は、

次の目標を立てるときに書きます。

 

 

つながりの広がりと深まり

まずは2019年に参加させていただいたイベントを振り返ります。

漏れがないことを祈る。

 

1月21日 大和ハウス工業株式会社寄付講座「文化の居場所を考える」@立教大学

1月31日 社会デザイン研究会@立教大学

2月2日 お家カレー祭りvol.6@家劇場

2月3日 社会デザイン研究会「手づくり文化交流始めます」成果報告@立教大学

3月9日 とびらプロジェクト とびラー第8期メンバー面接@東京都美術館

4月17日 社会デザイン研究会@立教大学

5月12日 第8回TURNミーティング@東京芸術大学

5月21日 あーとま塾同窓会関東支部

6月19日 東洋学園大学にて講説(詳しくはこちら

6月29,30日 文化経済学会@名城大学

7月4日 「絶対内定×メモの魔力」@新木場STUDIO COAST

7月6日 日芸アートマネジメント会 第6回シンポジウム@日本大学芸術学部

7月12日 家劇場NIGHT~ちゃぶ台かこって、あの人とおしゃべり~@家劇場

7月20日~8月11日 多摩ニュータウン×演劇プロジェクト「まちまち」サポートスタッフ@パルテノン多摩

8月17-18日 日本劇作家大会2019上田大会@サントミューゼほか

9月1日 あーとま塾同窓会

10月22日 こたま「木工のワークショップ」@聖蹟桜ケ丘

10月23日 社会デザイン研究会@立教大学

11月6-7日 長野合宿@ホクト文化ホール長野市芸術館、犀の角、サントミューゼほか

12月4日 「投資を、もっとおもしろく。」@EX THEATER ROPPONGI

 

 

ありがたいことに、今年も刺激を受ける機会をたくさんいただきました。

特に、大学で授業をさせていただいたり、

活動報告を掲載させていただいたり、

集まりに声をかけていただいたり、

 

自分が学びに伺うだけではなくて、

発表を通して、学びを活かしたり、多少なりとも学びの機会をいただいた恩返しができる場面があったのが嬉しかったです。

 

また、呼んでいただけるということは、

あの人に声をかけてみようの「あの人」の1人として思い浮かべてくれる人がいること。

そのことが嬉しいし、すごく有難いことだと思います。

 

だけど、いつまでも受け身でいるわけにもいかなくて。

自分もまた「誰か」を思い浮かべ、声をかけることで、つながりを広げていくこと。

今はまだ力不足だけど、いつかはつないでいく立場になれるように。

 

今年も、たくさんのご縁に恵まれた1年間でした。

 

 

写真は楽しい

圧倒的に、写真活動が精力的な1年間だったと思います。

正直、5000枚以上撮るのは無理だろうと思っていました。

それが1000枚オーバーの6000枚以上。すごい。びっくり。

 

ただ6000枚すべてが公開に耐えうる写真では全然なく。

ほぼ同じような写真、ピンボケ、ブレなども含めての6000枚です。

単純に6000回シャッター切っただけのことです。

1日17回ちょっとです。

 

でも、目に映る景色も、2つの見方を意識するようになりました。

 

1つは、「光」。もう1つは「線」。

 

光の注ぎ方や、線を写真の中に描くと、伝わる写真が撮れるのではないか。

そんなことを考えながら最近は撮っています。

 

写真から生まれた新しいつながり

つながりが生まれ、深くなると、よりその活動に没頭するようになる。

 

友人に誘ってもらい、10月頃に初めてポートレート撮影を撮りました。

それがあまりにも楽しすぎてしまったのです。

 

心が沸き立つ景色。それだけでも撮りたくなるのに、

そこに、人が作り出す表情、空気感が合わさったとき、

切り取ることでしか残せない、伝えられない。唯一無二の情景が目の前に映る。

こうして書いていても気持ちが沸き立ってしまいます。

 

何よりも、写真を通して新しいつながりが生まれること。

これも1つの幸せです。

 

ポートレート撮影会は、今年だけで6回ありました。

9月15日 @六本木(集団撮影)

10月19日 @代々木公園(集団撮影)

11月3日 @豊洲ぐるり公園(個人撮影)

11月23日 @愛知(集団撮影)

12月1日 @丸の内(個人撮影)

12月15日 @新宿(個人撮影)

 

9-12月の3ヶ月で6回撮影会に参加しました。

1回は、参加できる撮影会が見つからず、探すよりもやったほうが早いと、自分で企画しちゃいました。

他の1回は、愛知まで夜行バスに揺られ、参加して、夜行バスで帰りました。

 

1ヶ月4週間と考えて、12週間で6回。2週間に1回は撮影会だった計算になります。

 

来年もそのペースで、2-3週間に1回。できたらいいなあ。

 

 

2019年に触れたアートやエンタメ

2月1日(演劇)お座敷コブラ『RUN3.0』

2月5日(写真展)落合陽一展覧会『質量への憧憬』

2月10日(写真展)横田裕市作品展『フィンランド 冬の光』

2月23日(音楽)中央大学ハーモニカソサイエティー若手OBOG主催ライブ『Hamosonic X』

4月7日(音楽)奥華子さんミニライブ

5月4日(音楽)寺嶋由芙さんライブ(ヨコハマカワイイパーク)

6月8日(演劇)集団視力検査『LASIKKER -A NEW TRANSLATION』

6月16日(演劇)モダンスイマーズ『ビューティフルワールド』

8月17日(演劇)iaku『仮面夫婦の鏡』/中山マリ『あい子の東京日記』@犀の角(日本劇作家大会2019)

8月18日(演劇)鈴木一功『べっかんこ鬼』/鴨川てんし『生き残った森の石松』@上田映劇(日本劇作家大会2019)

8月23日(演劇)ゲッコーパレード 戯曲の住む家Vol.9『ファウスト

9月28日(音楽)中央大学ハーモニカソサイエティー90周年演奏会

9月29日(演劇)果ての水辺『青を飲む』

10月5日(演劇)チーム第三幕『ロミオとジュリエット

11月24日(演劇)teamキーチェーン『声』

12月19日(音楽)UVERworld "UNSER TOUR"@TOKYO DOME

 

2ヶ月に1回以上、が目標でしたが、

結果的に、1ヶ月に1回以上ありました。全部で18本。

 

ただ、4-5月のは、お金を払ってないんですよね。

「観覧無料」っていうやつです。ズルしたのではありません。

 

演劇は9つ。本数では11本。

お声がけいただいているおかげで、観に伺う機会がたくさん増えました。

なかなか、自分から「観たい芝居」を探して観に行くことをしないので、

本当にありがたいです。

 

ちなみに、どうやってみなさん「観たい芝居」を探しているんでしょう・・・?

 

もちろん、お誘いいただいたお芝居も、面白そうだと思うから伺うのですが、
2020年は、自分で観たいお芝居を「探して」観に行く、ことをやってもいいかもな、なんてことを思っています。

 

 

音楽に、演者として触れる

音楽イベントが少ないですね。5つ。

しかも2つは観覧無料、もう2つは演者側でした(指揮者、演奏者、撮影スタッフ)

 

9月28日の演奏会。

毎年フルートを吹く機会をいただいているのも嬉しいことで。

今年は4年ぶりに指揮を振ることもできました。

 

指揮を振るの、すごく好きなんです。

でも、なぜ惹きつけられるのでしょう。

 

振るのも楽しいんです。でもそれだけではなくて。


同じフレーズを奏でる楽器を意識する。
演奏者みんなと目線が合う。

 

音楽でみんながつながっている一体感を、

肌で一番感じられる。

 

9月の演奏会で、かつてないくらいにこの感覚が伝わってきました。

これが、その1つなのかもしれません。

 

 

音楽と時間が、紡いだもの

唯一、音楽鑑賞イベントとして数えられるのが、UVERworldのライブ。

実質的に、音楽鑑賞イベントは1本だけでした。

 

そこには、10000本分の感動がありました。

なので今年は音楽イベントを10000本観たようなもんです。

 

 

UVERworldのボーカルのTAKUYA∞さんとベースの信人さんは、幼稚園時代からの幼馴染み。ギターの克哉さんはTAKUYA∞さんと同じ保育園だったそう。TAKUYA∞さんと実家が向かい同士だったギターの彰さんと、その同級生のドラムの真太郎さん。さらに克哉さんと学生時代同じクラスだったサックスの誠果さん。

 

そんな、昔からのつながりが結びついている関係性が、僕が好きな理由の1つ。

 

そんな6人が、同じ舞台で、最高の音楽を紡ぎ、音と体で魅せてくれます。
特に、TAKUYA∞さんと信人さんが語り合う場面は、時間が紡いだ2人の関係性が見えてくる気がして、胸を打つ場面でした。

 

 

僕は、このライブを、小学校からずっと付き合いのある友人と観に行きました。

 

その友人とは、小中高と同じ、特に中学時代は部活も同じバスケ部でした。

大学は違いましたが、進学先は同じ東京でした。

もう15年くらいの付き合いです。

 

僕がUVERworldを好きになるきっかけをつくってくれたのが、その友人でした。

 

中学時代に、彼から勧められて、

僕はなんとなく、UVERworldのアルバムCDを買ったのです。

 

初めてCDを自分で選んで買いました。

 

正直、聴いた瞬間にドハマりした、というわけではなかったと思います。

 

だけど、彼と共通の話題ができたこと。それが純粋に嬉しかったのかもしれません。

 

彼との仲が深まっていくとき、いつもそこには、UVERworldが紡ぐ音楽や言葉がありました。

UVERworldが紡ぐ音楽や言葉を聴くと、いつだって、僕には彼という親友がいることに気付くことができます。 

 

そんなことが、もう13年以上続いています。

 

 

 

幼馴染みのバンドが築き上げてきた音楽や言葉で、

築いた友情を持つ僕たちが、こうして大好きな彼らの音楽を目の前で聴いている。

 


時間と音楽が紡いでくれた「感動」と「ありがとう」を、僕はただひたすらに、
その場で味わっていました。

 

 

これを、10000本分の音楽の力と言っても、過言とは思いません。

 

 

 

紡いだ糸で、僕は何を織るのか

今回、振り返るにあたって、

今年参加したイベントや公演をちゃんと残そうと思いました。

 

どれだけ「つながる」機会があったのか。

その時に出会った人たちの顔や言葉を、思い出せるように。

 

 

つながりにもっと「ありがとう」と思える人間になろう。

思うだけじゃなくて、もっと人のことを自分に刻める人間になろう。

刻むだけじゃなくて、還せる人間になろう。

 

2019年、ありがとうございました。

2020年にまたお会いしましょう。

 

よいお年を!

 

 

2018⇨2019へ。-雑記録-_181231

平成30年12月31日、大晦日。平成最後の大晦日ですね。


今年もいよいよあとわずか。



個人的なことですが、ようやく後厄も終わりを告げます。






今年も、いろんな出会いがあり、いろんな経験をさせてもらった1年でした。


そんな年末に、今年一年のふりかえりをやってみたいと思っています。





ふりかえりは、主に2部構成で行ってみたいと思います。


まず第1部、名付けて、わたしの「今年の〇〇」シリーズです。

今年の漢字」はご存知の方も多いかと思いますが、「今年の数字」や「今年の一皿」というのもあるそう。そこで、自身の「今年の〇〇」シリーズを色々と掲げて、勝手に選んでみよう!という企画です。



第2部は、「目標のふりかえり」です。
わたしのtwitter で、ここ数年目標を掲げているのですが、その実現に向けてどう行動できたか、来年にどう繋げていくかを考えてみたいと思います。


では、早速始めていこうと思います。


わたしの「今年の〇〇」

今年の漢字

⇨【蒔】:社会人3年目にして、自分の人生の軸となるものとして、「文化とアートと社会のつながり」ということをテーマに、ようやく真剣に向き合っていけるようになったなと思う一年でした。そういう意味で、今年は自分の人生に種を蒔くことができたと思っているので、この漢字を選びました。

今年の数字

⇨【4542】:アートマネジメントの勉強のために通った移動距離の総計です。
東京⇆大阪…974km
東京⇆京都…910km
東京⇆福岡…2,128km
東京⇆福島…530km

調べてみたら、東京からバンコクまで移動したのとほぼ同じ距離でした(東京→バンコク 4600km)
こういう行動力は自分の強みだと思っているので、来年も引き続き頑張っていこうと思っています。

今年の音楽

⇨【NieR Orchestral Arrangement】:PlayStation4Xbox One等で展開されているアクションRPGゲーム「NieR」シリーズの劇中音楽が、オーケストラの生演奏でアレンジされ、収録されたものです。オリコン週間アルバムチャートでも初登場7位という記録を打ち立てた、ゲーム音楽の中でも人気作であるNieRシリーズ。

わたしはこのシリーズ作品がすごく好きで、オフィシャルオーケストラコンサートにも足を運びました。

ゲーム音楽というジャンルが、新しい音楽文化として定着しつつあることを実感した作品でもあることから、ここで選出しました。

語り出すと長くなるので、このことについてはまた別の記事でアップしようかなと思います。

今年の演劇

⇨【大人計画『ニンゲン御破算』】:2つ候補があり、どちらにするかすっごく迷いました。ブログの趣旨からすると、多分もう一つの候補の方がいいのかなあと思いながらも、やはり、この決定打にはかないませんでした。


そう、めちゃくちゃ大好きな多部未華子さんを拝むことができたこと。

ごめんなさい、この事実にはもうなにも敵いませんでした…!


もちろん内容もすごく面白かったです。「演劇って楽しい!」と素直に思える作品だったなと思います。詳しくはこちらのブログに記載しているので、気になる方はご覧ください。

今年の一枚

わたしのtwitterの写真アカウントで反応が大きかったものにしようか、色味のあるものにしようか、色々と迷ったのですが、「まち歩きの中、たまたま出会った風景で一番気に入った写真」という、スナップ写真として一番お気に入りになった1枚を選びました。

今年の一冊

⇨【前田裕二氏著『人生の勝算』】:この本は、自分の人生についてあらためて真剣に向き合うチカラをくれました。この先もなにか迷うことがあった時、いつでも立ち返ることができる本と出会えたなと思っています。まさに人生の一冊です。



わたしの「今年の〇〇」シリーズ、意外と書いてみると面白い!

気になった方はぜひやってみてください。







では続きまして、第2部へと移りましょう。

目標のふりかえり

2018年のわたしの目標は、これでした。(わたしのtwitter参照)

1.「面倒」だと思うことほど、ひと手間加えて、丁寧に取り組んでみる。
2.初心を改めて思い出して仕事に取り組む。勉強もする。
3.本を12冊以上読了する。読んだ内容を自分なりにまとめて、考察してみる。
4.3曲ほど簡単な曲を作曲してみる。
5.定期的に運動する。
6.脱ペーパードライバー

まず、1と2については、そもそも目標というよりは、心構えに近い意味合いで設定していました。
仕事の姿勢として、時々自分を見つめ直すきっかけになる言葉ではありましたが、これがうまくいったかといえば、時期によってできたりできていなかったり…というのが実感です。

来年の目標設定では、他にも設定したいことが色々と思い浮かんでいるので、それらの具体的なものにしようと思ってます。仕事の姿勢論はまた別のどこかで設定しようかな。


3については、12冊は読了することができました。今までどうしても身に付かなかった「読書グセ」をつけることが最大の目的だったので、それができたことは良かったかなと思っています。
ただ、まとめて考察するための読書記録や、このブログで読書録を書くことはできなかったので、来年はその記録と考察(アウトプット)の部分を重視して目標設定しようと思ってます。



4は、2曲までしかいきませんでしたね…。ただ、作曲する機会があったから取り組めた部分が大きかったので、それについてはとてもありがたかったなあと感じています。

また、3曲かけなかった一因としては、10月頃から写真活動の方に力を注ぐことを優先したこともあると思います。
夏頃に、写真活動、作曲活動共に中途半端になっていることを感じ始めていたので、一旦どちらか一方に集中した方が、習慣化できるだろうなと思いました。それもあって、写真活動の方が少しずつクセづけができてきたなと思っているので、来年こそ「作曲グセ」をつける強気の目標設定ができるなとも思っています。



5は、むしろ昨年よりも運動回数減ってしまいましたね…。どんな運動するのか?何かの定期会員か?朝走ることか?ということも具体化できていなかったので、この目標も、来年はクセづけを意識して具体的な設定をしてみようかなと思います。

具体的に考えているのは、あるジムに通い始めるか、週に1回早朝ランニングを入れるかということ。
どれくらい運動に時間を割けるのかを見極めながら両立していければいいかなと思っています。



6は、5月か6月頃にペーパードライバー講習を受けました。その後、会社の車を1度運転しました。
あとはカーシェアリングにも登録をしていて、一応いつでも車に乗れるようにはしています。



…以上です。

結局、継続的に運転できていないので、脱せていません。


6が一番難しい目標だなと思ってます。一人で運転するのも不安で、かといって誰かを乗せるのはもっと不安。ここをどう脱するかが一番のカギになるとは思っているのですが…。


今考えているのは、2週間に1回、週末に早朝ドライブを取り入れてみようかなということ。車の少ない時間帯で少しずつ慣らしていくしかないですね、頑張ります。



以上、今年のふりかえりでした!


来年もまた、このキャンバスに思考をどんどん描いていきますので、少しでも面白いと思ってもらえる方、ぜひ応援していただけると嬉しいです!


今年一年、関わって頂いた皆様、この拙いブログを読んで頂いた全ての皆様に感謝し、
締めにしたいと思います。


ありがとうございました!


今年はここまで! 最後まで読んでいただいたことに、些少ながらの感謝をあなたに。

コミュニケーションのカタチ -文化とアートと社会に関する思考録- _181217


12月16日 日曜日の銀座です。




用を済ませ、銀座を後にしようとした時に、たまたま見つけてしまいました。




「眠らない手」エルメスのアーティスト・レジデンシー展 | HERMES - エルメス公式サイト



なんじゃこの楽しそうなのは!行くしかないじゃないか!


ただ、今日はいつも以上に行きたいところが詰まっていたので、また今度にしようかなとも思いました。


しかし、「ここで行かなきゃ結局行かなくなる、行かなかったら後悔しそうだ」と思い、予定が押すのを覚悟の上、行くことにしました。





全く縁もゆかりもないと思っていた、HERMESの建物。








アーティスト・レジデンシー展と表記されていることからも、ここでの展示作品は、「アーティスト・イン・レジデンス(AIR)」で作られた作品だということだと思います。




そもそもAIRとはなんぞや?と、聞き馴染みがないという方もいるかもしれません。



アーティスト・イン・レジデンスとは、

招聘されたアーティストが、ある土地に滞在し、作品の制作やリサーチ活動を行なうこと、またそれらの活動を支援する制度を指す。

アーティスト・イン・レジデンス | 現代美術用語辞典ver.2.0 より一部抜粋)




ということです。簡単に言うと、アーティストがある地域に一定期間滞在して、そこでの地域の空気感や人々の生活の営み、人との交流などからインスピレーションを受け、作品にするというものです。




全国的に少しずつこれらの潮流が広がっており、例えば千葉県松戸市の「PARADISE AIR」や、福岡県糸島市の「Studio Kura」などがあります。





この展覧会の作品は、エルメスの様々な工房にアーティストたちが滞在して制作を行なったものだそう。
金銀細工、皮革、クリスタル、テキスタイルという上質な素材を用いた作品制作に挑んでいます。





キュレーターである、ガエル・シャルボー氏は、

エルメスの工房でのレジデンシー・プログラムに参加したアーティストや職人たちの会話を通して、私は言語を介さないコミュニケーションの重要性に気づいた。工房においては、動作や姿勢こそが、知識や気持ち、感情を伝えるための本質なのだ

と言っています。



職人さんの仕事について観察しているうちに、ある共通点に気づいたそうです。

それは、彼らは手で作業しながらも、頭は別のこと(次の工程や素材の様子など)を思考している、すなわち、手は単なる脳の信号=思考のしもべとなって動いているわけではなく、手そのものが自立しているのだということ。




さらに、例えばクリスタルを扱う工房では、あまりにも大きな音が工房内に響くため、会話ができないことから、コミュニケーションは表情や態度で行われる、ということ。





興味がある方は、この動画を観てみてください。展示会でも流れてましたが、作品を完成させることだけでなく、そこに至るまでのプロセスの中で、多くのアーティストが得た様々な気づきについて記録されていて、とても面白かったです。



ちなみに公式サイトではパンフレットも無料公開されてます。

「眠らない手」エルメスのアーティスト・レジデンシー展 | HERMES - エルメス公式サイト

無料でこれだけのコンテンツ発信できるの、HERMESすごいな…。
(正確には、エルメス財団による取り組みだそうです)





言語を介さないコミュニケーション


さて、この展覧会でわたしが印象に残ったのは、


「言語を介さないコミュニケーションの重要性」ということ。




ここ最近、障害者差別解消法に関する講演会だったり、演劇ワークショップに参加する機会があったのですが、
それらを通して感じたことと、とても共通点があるなと思ったのです。


それは、



私たちは他者とのコミュニケーションツールとして、《言葉》というものにあまりにも依存しすぎているのではないか、ということ。





ここでの《言葉》とは、「文字」という視覚的・聴覚的な記号を指しています。

《言語》とも言い換えられるかもしれません。





「言葉で言わないと伝わらない」と言いますが、人間という生き物は、本当に、言葉でなければ明確な意思疎通ができないのでしょうか。







人間には五感・四肢があります。


「障害がある人」とされているのは、その五感・四肢のいずれかに障害があること、または、知的障害や発達障害といったものを持っている人のことを指しています。



障害者差別解消法の中では、そのような「障害がある人」に対して、不当な差別的取扱いの禁止が述べられています。




ではそもそも、なぜそのような「不当な差別的取扱い」がなされるのでしょうか。



様々な要因があるかと思いますが、僕は、その1つの要因として、


コミュニケーションの機会損失による相互理解不足があると思います。






相互理解ができてないから合理的な配慮ができない、結果としてそれが「不当な差別的取扱い」につながってしまうのではないか、ということです。





では、なぜコミュニケーションの機会損失が起こってしまっているのか。





それは、私たちが日常生活において《言葉》というツールだけで、コミュニケーションのほとんどを行なっているからではないでしょうか?




聴覚障害視覚障害、知的障害など、言葉というコミュニケーションツールを扱いにくい人にとって、
この「言葉社会」を生きていくということは、想像もつかないほどの大変さがあると思います。






さらに、障害のあるなしに関係なく、言葉を使うことを苦手としている人たちもいます。



その人たちの中にも、この「言葉社会」に、生きづらさを抱えている人たちがいるのではないかと思っています。





私たちは、他者とコミュニケーションを取り続けなければこの社会を生きていくことはできない。



そんな、生きていくために必須である、コミュニケーションのツールに多様性がない、ということに、
なんとなく違和感を覚えてしまったのです。





コミュニケーションのカタチ

外国旅行に行った人ならイメージできるかと思いますが、言葉が通じない時には、必死のボディーランゲージをしたり、絵を描いたりするなどして、なんとか通じたという経験を持っている人は多いはずです。





このことからもわかるように、人間って実は、《言葉》だけではなくて、もっと多様なコミュニケーションツールを潜在的に有しているのではないでしょうか。




コミュニケーションツールとしての《言葉》が、あまりにも利便性に長けているということに気づいてしまったばかりに、他の多様なコミュニケーションツールの可能性を模索することを止めてしまっているような気がしてならないのです。




ただ、言葉以外でどうコミュニケーションできるのか、と問われれば、今の僕にもまだ提唱できるものはありません。


しかし、言葉によらないコミュニケーション(非言語[ノンバーバル]コミュニケーション)に関する研究は様々なところで提唱されているようです。



僕は、その非言語的コミュニケーションの可能性の1つとして、アートがあるのではないかと思っています。




アートを通してお互いに何かを伝え合うことはできる。




共通の言語がなくても、アートを通して自分を表現し、相手の表現からその意思を感じ取れる五感・感性を、本来的にわたしたちは持っているのではないかと思うのです。






こうして《言葉》で書いているこの記事も、もしかしたら絵だったり、音楽だったり、今はまだないような表現方法で、同じようなことを提示することができるのかもしれません。







言葉だけじゃない、ノンバーバルコミュニケーションの可能性についても、アートを通じて発信できるといいなと考えている今日この頃です。






本日はここまで! 最後まで読んでいただいたことに、些少ながらの感謝をあなたに。

わたしと演劇 〜幻の演劇部員〜 -自分録- _181211

珍しく朝からの投稿です。

ただいま、わたしは福島県のいわきに向かっている道中でございます。

本日から2日間、立教大学社会デザイン研究所集中講座に参加してまいります。



今回は、演劇ワークショップを通して、「作品をつくる」ことや、「まちづくり、文化交流」について考えるというもの。
いつもは座学形式のものがほとんどなので、少し緊張の混じった楽しみな気持ちで向かっています。



演劇はもともと好きで、縁もあってここ最近鑑賞する機会が増えたのですが、
実際に身体を動かすのは実に高校1年生以来といったところでしょうか。



わたしと演劇


高校1年生の時、実は少しだけ演劇部に所属していました。

幻の演劇部、と言ったほうがいいのかもしれません。




なぜなら、部員はわたし一人だけだったから。


そもそも演劇「部」自体、高校の公式な部活動としてあったわけではありません。


・高校の面接時に演劇をやってみたいと言ったこと

・たまたま他の学校で演劇指導の実績があった先生がいたこと



この2つが見事に重なって、「じゃあやってみましょう!」とその先生にお誘いを受けて、
入学してすぐの4月、幻の演劇部が誕生したのです。





幻なので、当然演劇部はわたし一人だけでしたが、「一人芝居で卒業までに全道大会(≒県大会)目指すよ!」という先生の熱いパッションのもと、空き教室で放課後毎日、発声練習・ストレッチ・パントマイムを行う日々。



なかなか厳しい練習の日々でしたが、その厳しさは確かに、卒業までに全道大会に行けるんじゃないかと思えるほどのものであったことは確かです。







もし、「3年間続けることができていたならば」ですが…。







今思えば、自分のやりたいことに賛同してくれる協力者がいたこと、やりたいことができる環境であったこと、これはすごく恵まれていたことなんだなと思います。


しかし当時のわたしには、残念ながら、孤軍奮闘できる意志の強さは持ち合わせていなかったのです。






運動部が仲間とトレーニングしている体育館の端っこで、一人で発声練習する毎日。



同じクラスの友達に、「ろみお」とあだ名をつけられ、からかわれているように感じていた毎日。
(あだ名自体は全然イヤではなかったです、むしろそのおかげで打ち解けあえたぐらいだと思ってます。しかし、演劇を一人でやっていることを、からかわれているような気がしていたのです。)



まったくもってアドリブ力がなく、厳しく指導され続けるパントマイム。






放課後のことを考えると、お昼ご飯のお弁当も喉を通らず、半分以上残す日々が続きました。






そんなある日、突如持ち上がった話がありました。



4つの高校の合同による演劇制作。



先生はわたしに確認するまでもなく、「参加できるように話つけてきたから」と伝えてくれました。



なんという作り話のような展開。



ただし、参加が決まった時点で、本番まで1ヶ月もありませんでした。



しかも、劇の一番最初に登場し、一番最初にセリフを発する役を務めることになったのです。




本番は5月の初めでした。


他校の諸先輩方が、12月ころから積み重ねてきた作品です。

そこに、入部1ヶ月も満たない幻の演劇部員が参加するとなったからさあ大変。



ツラいなんて言ってられません。もうやるしかありません。





だけど、今でも覚えてます。あの時の練習風景を。


セリフが入った紙の感触、練習場の床のひんやりした感触、陽射しの入った明るい空間。


久しぶりに、演劇って楽しいと思えていたあの時の気持ちを。







この作品が、わたしにとって最初で最後の、役者としての舞台となりました。






当時の作品は、ありがたいことにDVDとして記録に残っています。
恥ずかしくなりそうなので、まだ観たことはありませんが…。




ちなみにその後は、クラスメイトから猛烈な勧誘を受け、吹奏楽部に入部し、
フルーティストとして舞台に上がり続ける日々を3年間過ごすことになっていきます。



人生の軸に正直になる

当時の自分はなぜ、やりたいことを最後まで貫き続けられなかったのか、と思います。


今考えられるとしたら、それは自ら勝手に作り出していた「周りと違うことへの恥ずかしさ」だったのかもしれません。


周りと違うことをやっている、そんな自分に自信が持てなかった。





でも、周りと違っても自分のやりたいことを貫いてる人はむしろかっこいいし、自分の人生においての軸を持つこと、その軸に正直に生きていくことが本当は大切なことなんだと、今は思います。





当時のわたしは16歳。



25歳になって、まるでその時の「貫ききれなかった」経験をバネにするかのように、
会社の有給を3日連続で取り、今こうして、自分の人生の軸に向き合うために
バスに揺られている、今日この頃です。

なぜ、私はアイドルにハマったのか -文化とアートと社会に関する思考録- _181127


つい1年前まで、ただひたすらにとあるアイドルさんを追っかけていた。余暇時間の9割近くはアイドル現場に費やしていたと思う。近くの現場はもちろん、名古屋や大阪も当たり前。なんならCDシングルリリースのイベントの1時間だけのために兵庫まで行ったことすらある。

同じアイドル界隈に生きる人からしたらこれくらいの活動力のある人はうじゃうじゃいる。むしろ私のはまだヲタク活動としては大したレベルではない。

だが、そこにいたことがない人からしてみると、何がそこまで人を動かすのか全く理解できないだろう。

私自身もそういう世界にハマったのは、生まれて20年以上経ってからだ。それまでは全く興味を持つことなどなかったので、そんな自分に驚いてもいた。



最近はすっかり落ち着いてしまったものの、行きたいと思わなくなったわけではない。ただ自分の中で、今は写真活動や、他のことに注力したくなったため、お金と時間をかける優先順位としては少し下がってしまったからというのが本音ではある。



そんな少し落ち着いている時にこそ、改めて考えたいことがある。

なぜ、今まで興味が湧くことのなかった世界へ、あそこまでのめり込むことができたのか。

今日はそんなことを考えて、文字に綴ろうと思う。


私にとって未知の世界であったこのアイドル界隈で触れたこと、感じたことをあらためてまじめに考えてみた。
それが曖昧なままでは非常に勿体無いので、こうして文字を綴ることで少しでも可視化したいと考えている。


なお、あくまでもこれは、私自身の活動の中で身につけた個人の考えであり印象であることから、これが必ずしも均一的なスタンダードではないことは先に申し述べておきたい。



なぜ私がアイドル界隈に強く惹き込まれていったのか。
結論からいうと、そこにはとても強い「コミュニティ」と「インタラクション」があったからだと思っている。



強靭かつ開放的なコミュニティ


ヲタク活動の基本スタイルは、ライブで盛り上がったのち、特典会で自分の推しと会話したり、チェキを撮ったりするというのが一連の流れである。


はじめは当然、知らない誰かばかりで、楽しむのも何をするのも1人である。
しかしこれが、1人でも知り合いができた瞬間に、関係構築の連鎖反応が生じて、爆発的にコミュニティが形成されるのである。言い替えると、もともとある強靭なコミュニティの中に入るのには、同じ空間にいる1−2人と挨拶を交わし、よろしくお願いしますとなるだけでいい。


これは、普段の生活の中ではとても考えられないことである。


隣人がどんな人間なのかもわからないことが多くなり、コミュニティの希薄化という地域課題がそこかしこで叫ばれている現代社会に対して、アイドル現場は、週末に一度、勇気を出して一歩その空間へ足を踏み入れるだけで、歓迎されるコミュニティに混ざっていくことができるのである。

ぼくらが出会う前の日曜日は こんなにも優しい気持ち 知らずにいたんだ、と思わずにはいられない。



人と人の関係の強さを資本として捉える「社会関係資本ソーシャルキャピタル)」の考え方によれば、複数人で構成される「集団」は大きく2種類に分類できるとされている。

  1. bondingタイプ:結束力が強く閉鎖的な集団
  2. bridging タイプ:結束力は弱いが、他の集団とも橋渡しすることができる集団

上記のようなコミュニティ(ここではアイドルコミュニティと呼ぶこととする)は、基本的にはbridgingタイプに該当すると考えられる。しかし、このアイドルコミュニティは、bridgingタイプ特有の開放性を持ちながらも、bondingタイプレベルでの結束力の強さを有しうる可能性を秘めていることが考えられる。


ライブやイベントの回数に応じて、アイドルコミュニティへ参加する機会は比例して多くなる。アイドル界隈ではそのイベント数が週1ー2回は平均的にあり、多いときは週に7回以上ある(つまり1日に数回イベントがある)ことも珍しくない。ここまで集まる機会の多いコミュニティは決して多くない。そう考えると、他のコミュニティと比較しても、集団としての結束力が明らかに強くなりやすい。その分、bridgingタイプだとしても、結束力の平均値がイベント数に応じて高くなっていくことは想像に難くない。



ライブやイベントは毎回場所も時間も異なり、その範囲は全国各地であるため、全員が必ずしも毎回集うわけではもちろんない。さらに、アイドルコミュニティはbridgingタイプではあるので、コミュニティを構成するメンバーは流動的である。新しい仲間が増えることもあれば、去っていく仲間もいる。



しかし、全国各地で展開されるからこそ、コミュニティが一定の地域に集中することなく、全国に点在するようになり、結果としてどの現場に行っても、必ず誰かしら知り合いがいるというようになるのである。むしろ、ある地域でしか会えない仲間に会うこと自体が目的にすらなることだってある。わたしを旅行につれてってと導かれたかのように。

さらに、構成メンバーも流動的であるからこそ、コミュニティを広げる動機を生み出すことにもなるし、惰性化しにくい仕組みにもなっている。



なお、ここでは自身の経験から「アイドルコミュニティ」と名付けていたが、必ずしもアイドルに限ることではなく、あるコンテンツを媒体として、それを好む人々によって形成されるコミュニティであればどこでも同じようなことは起こりうる。


ただそれでも、アイドルコミュニティにおいて強みとなるのは、コンテンツが「アイドル」という確立したキーパーソンであるということである。


これは「インタラクション」の話にもつながってくる。


アイドルの活躍の幅が広がったり、人気がさらに上がったりするには、ヲタクやファンの応援が欠かせない。それは今も昔も変わらないが、SNSやインターネット、SHOWROOMなどのストリーミング配信サービスが普及したことにより、「応援」するための手法が多様化し、応援それ自身がより強い力を有することになった。


自らの応援が、好きなアイドルがさらに素晴らしい舞台に立つことにつながり、仲間とともにさらなる高次の体験を得ることができる。それをアイドルに感謝し、再び応援に力を入れる…。「応援する」という行為を通して、自身の好きなアイドル(=コンテンツ)がさらに成長し、夢に近づいていっている姿を見て、自身もまたより幸せになれる(=高次的体験)という好循環がそこに生じているのである。


つまり、あるコンテンツを媒体に形成されたコミュニティであっても、コンテンツそのものに成長可能性が秘められているか、成長した場合に得られる高次的体験がどれだけ明確に可視化できるかということも、コミュニティの強靭化や開放性に影響してくるように考えられる。


その点についてはアイドルというコンテンツはまさに明確であるし、実際にそれを活動で具現化して、アイドルさん自身の成長とヲタク側の高次的体験の好循環を生み出しているアイドルさんは本当にすごい。



まとめると、

●アイドルコミュニティの強みは、①好きなアイドルという共通要素があるために、コミュニティが形成されやすい ②参加可能な機会が多く、結束力が生じやすい ③全国各地でライブやイベントが展開されるため、コミュニティが一極集中型ではなく各地点在型となり、コミュニティ間の相互交流が生じる ④流動的であるからこそ、コミュニティ内部が硬直化しにくい

これが強靭かつ開放的なアイドルコミュニティの強さである。

●さらに、アイドルそのものが、成長可能性を秘めているコンテンツであるからこそ、アイドルの成長と自身の高次的体験の追究の好循環が生じやすいため、コミュニティの活動にマンネリ化を感じにくく、参加したい意欲が継続されていくのである。


こういうことだと私は考える。




予想以上に長くなってしまったので、「インタラクション」については次回に回したいと思う。



「たかが1–2年しかまともにヲタクしていない輩が偉そうに分析なんぞしおって」という声も聞こえてきそうだが、私は、そのたかが1−2年だけでこれだけの分析ができるほど、好きがこぼれるくらいアイドルにハマることができたとも言えるので、私の推し様には本当に感謝しかない。

それにしても、こんなにもすごいコミュニティの輪に一度でも入れてもらった身としては、たとえ現場に行くことが少なくなったとしても、集まりだけは顔を出したりして(それがヲタク友達のみなさんにとって良いのかどうかはわからないけど)、ここで作った関係はこれからも大事にしていきたいなと、勝手ながらに、でも揺るぎなく思っているのもまた、本音なのである。



本日はここまで!

最後まで読んでいただいたことに、些少ながらの感謝をあなたに。

誕生日の「点」と「線」から見る自分自身 - 雑記録 180925 -

久しぶり(およそ3ヶ月ぶり)のブログ更新です。


一度途切れてしまうと、どんな内容で、どのタイミングで再開すればいいのか、見つけにくくなってしまいますね。そんなこと気にしなくてもいいのかもしれませんが…笑
とはいえ、それを言っていたらいつまで経っても再開できないと思ったので、久しぶりに更新してみました。



今日、9月25日は、わたしの25回目の誕生日でした。


アラサーになったねと言われますが、わたしは、「アラサーの範囲は 27歳から33歳 説」に立っているので、まだアラサーだとは自覚しておりません。





10年前から辿ってきた、今の自分自身


そんな少しだけ特別な今日は、先日やっていたテレビ番組の影響も受けて、とても懐かしいDVDを見ていました。




中学2年生の時の学校祭の映像です。




当時、わたしは中学2年から生徒会活動をしていました。

その活動の集大成である学校祭。特にオープニングとエンディングには、生徒会メンバーが劇やらなにやら、とにかく「面白いこと」「笑えること」をして、みんなを盛り上げるという恒例の企画がありました。

中学2年の時の企画は、ドラマ風の映像作品を作ろうということになりました。

今日見たのは、その作品やメイキング等々が含まれた、記念のDVDです。







当時の自分を見返してみていて、あの時の自分は、ちょうど自分が変わろうとしていた時だったなということを思い出しました。



どう変わろうとしていたのか?



それは、「遊び心を持つこと」でした。



当時、生徒会担当だった先生は、本当になんでも面白がって取り組んでいて、先生自体もとてもユーモアのある方でした。


一方で当時のわたしは、良くも悪くもとにかく「真面目にやる」ということしかできなく、「ものを面白くつくる」ということ自体、全く未体験のものであり、とても苦手意識がありました。(まあ今でも得意とはとても言えませんが…)


そのため、映像作品を作っている最中でも、面白く作ろうとする先生や先輩の無茶ぶり(今となっては全然ですが、当時の自分にとっては大変だったのかも)に応えようとすることに、苦手や恥ずかしさはありました。思い切ってできないところがあったのです。




でも、それ以上に、自分自身が楽しかったということがとても強烈な記憶として残っています。

それは、わたしだけでなく、同じ生徒会のメンバーや先輩方もそうだったと思っています。



自分たちが全力で面白がって、楽しんで、笑えるものじゃないと、人には楽しんでもらえない。


この経験が、「遊び心を持つ」ということの大切さに気づいたきっかけだったのかもしれません。






また、「正解のない表現」にチャレンジできたのも、この時が初めてだった気がします。



学芸会のような、ある程度決められた枠組みじゃなく、自分が思うようにやってみる。そうして周りと相談しながら、さらに創意工夫を重ねていく。表現による創作


これもなかなか頭をひねって考えていた記憶がありますが、この時の経験が刺激となって、高校につながっていったような気もしています。

ちなみに、「表現による創作」というテーマについても、稚拙ながらも思うところがあります。
また、高校につながっていったとは、どういうことかということもありますが、
それはまた別の機会に。



今振り返ってみると、あの時の経験から今につながっているものって確かにあるなということを、
改めて実感しています。



余談ですが、その先生は、わたしがちょうど中学三年生になる直前に他の中学校へ転勤となってしまいました。
その時既に生徒会長として生徒会活動のセカンドシーズンを走り出していたわたしは、
転勤される先生方へのお礼の言葉を全校生徒の前で述べていた際に、思わず泣いてしまったことは今でも覚えています。








「誕生日」の捉え方を変えてみる


あれから10年。








わたしは今も、あの時のように成長し続けられているのでしょうか。




これまで、誕生日は「点」として捉えてました。
わたしが生まれた特別な日。年齢を一つ重ねる特別な日。

特になにもしなくても、昔であれば、誕生日を迎えるということそれだけが、
自分が大きくなっている、成長していることを実感できる要素だったように思います。



だけどこれからは、「誕生日から誕生日」までの「線」として捉えていかないと、
自分がどう成長したかを実感することはできないんじゃないかなと思うのです。



去年の今日の自分から、今日の自分は、どう変わったのか?
少しでも成長できているのか?去年の今日から今年の今日まで、どんな行動を起こして、どんなことを考えて、どんなことで悩んで苦しんで、どんなことに気づいて、どんなことに喜んで感動して、どんな経験を積み重ねることができたのか。




あの頃のように、毎日が刺激であふれているような年齢ではありませんし、環境でもありません。
この「刺激に触れる機会の違い」というのは、学生と社会人の大きな違いの一つでもあるのかもしれません。

だからこそ、これから先の刺激の機会、体験の機会は本当に貴重なもので、確実に自分から見つけて獲得し、自分の中に蓄積させていくことが大事なのだと思います。



今日から、四半世紀における第2クォーターの始まり、
まずは充実した1年間にしていきたいと思います。




本日はここまで!

最後まで読んでいただいたことに、些少ながらの感謝をあなたに。