思考のキャンバス -文化とアートと社会と自分についての記録-

文化・アートと社会のつながりについての思考録です。また、影響を受けた本・音楽などを取り上げて、自分自身に関する思考録も行います。

作品の「価値」とは -文化とアートと社会に関する思考録- _180621


作品の「価値」とは、どうやって測ることができるのだろう。

音楽や、映画、演劇、イラスト、絵本…。私たちの生活の周りには常に、数え切れないほどの「作品」が溢れている。その中で私たちは「欲しい」と思うものには、お金を払い、その作品を個人で鑑賞し楽しむ権利を得ている。

わたしたちが「作品」を欲しいと思うのは、その作品から、生きていくためのエネルギーを得ることができるからだ。エネルギーというのは、ある人にとっては、生活の中の癒しであったり、またある人にとっては、何かを始める勇気であったりする。

作品の創り手も、同じことが言える。わたしたち「受け手」が、その作品にお金を払うことで、創り手は、また新しい作品を創るために必要なエネルギーを得ることができる。ここでのエネルギーというのは、創り手が生活していくための本来的な意味でのエネルギーの意味もあるが、それだけでなく、自分の作品でエネルギーをもらっている人がいるということ自体に、作品を創ることの意義を感じられることであると思う。


創り手の作品から、わたしたちはエネルギーをもらい、同等の対価を払うことで、創り手もエネルギーをもらい、また新しい作品が生まれていく。


文化やアートは、受け手と創り手がいて初めて生まれる。


ここで言っているのは、決して誰にも観せていない作品を否定しているわけではない。1人で創り、1人で楽しんでいる作品であっても、実はそこに「受け手としての自分」と「創り手としての自分」がいる。創り手と受け手が必ずしも他者とは限らない。


では、受け手が払う「同等の対価」というのはなんなのだろう。

創り手が求める「同等の対価」とはなんなのだろう。



間違いなく頭によぎるのは「お金」である。それは間違いない。


むしろ、わたしたちが「同等の対価としてふさわしい額のお金」を支払うことではじめて、正当に作品からエネルギーを享受する権利を得ることができる。

それは今の社会経済における「価値や信頼」の指標が「お金」である以上、当然のことである。





ただ、もし、作品の創り手が、その同等の対価を「お金ではない何か」と考えるなら?

「価値や信頼」の指標が、お金とはまた別にあるとしたらどうだろう?




少し前の話題になるが、キングコング西野亮廣さんが、自身が出版した絵本『えんとつ町のプペル』を
インターネット上に無料で公開している。

大ヒット中の絵本『えんとつ町のプペル』を全ページ無料公開します(キンコン西野) - Spotlight (スポットライト)



このサイトの中で、西野さんはこう話している。

実は今回、この絵本を最後まで無料で公開したのは、とても勇気がいることでした。僕だけでなく、この作品に携わっているスタッフは、この絵本の売り上げで生活をしているからです。ただ一方で、「2000円の絵本は、子供が、子供の意思で手を出すことができない」という声も耳にしました。

たしかに、2000円は決して安くない値段です。僕は子供に届けたいと思うけれど、「お金」という理由だけで、受け取りたくても受け取れない子がいる事実。

だったらいっそのこと、「お金なんて取っ払ってしまおう」と思いました。『えんとつ町のプペル』を、お金を出して買いたい人は買って、無料で読みたい人は無料で読める絵本にしてしまおう、と。

せっかく生んだ作品も、お客さんの手に届かないと、生まれたことにはなりません。10万部《売れる》ことよりも、1000万人が《知っている》ことの方が、はるかに価値があると僕は考えます。


西野さんは、売れることよりも、「作品が多くの人に読まれ、知られていることの価値」を指標とした。


さらに、西野さん自身のブログの中でも、このように話している。

キングコング 西野 公式ブログ - お金の奴隷解放宣言。 - Powered by LINE

SNSで誰とでも繋がれるようになり、『国民総お隣さん時代』となりました。
ならば、お金など介さずとも、昔の田舎の集落のように、物々交換や信用交換で回るモノがあってもおかしくないんじゃないか。
「ありがとう」という《恩》で回る人生があってもいいのではないか。

もしかすると、『本』には、その可能性があるのではないか?

こういった思いから、この無料公開に踏み切ったと述べられている。




文化とアートで、人がつながる社会をつくれる。

関係資本をつくることが、これからの社会で、お金を稼ぐのと同じ、あるいはそれ以上に重要になる時代がやってくる。

西野さんは、人と人のつながり(関係資本)によって形成される人生、社会を作り出す可能性は、本に宿っているのではないかと考えたのだと思っている。

これもまた1つの「文化とアートで人がつながる社会」のカタチなのではないだろうか。




作品の価値に対して、わたしたち受け手は「同等の対価にふさわしい額のお金」を払って享受する。
それはすぐには変わらない常識であり、そのことを私たちは忘れてはならない。


ただ、作品の価値を通して、創り手と受け手に生まれる「つながり」や、作品から得たエネルギーで、受け手がさらなるエネルギーの創り手となっていくこと。


作品がお金を通じてやり取りされるだけではなく、作品を通して「つながり」が生まれ、広がっていくということが、その作品の「価値」として、お金と同じレベルの指標で捉えられるような社会をつくっていくことができるとしたら。


文化やアートというのは、より身近に、わたしたちの生活に溶け込んでいくものになっていくのではないだろうか。